森信三の世界:社団法人実践人の家
「人生二度なし」
如何に生きるべきかの根本真理の世界へ
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森信三は晩年、こう言い遺しています。

「私の没後、この 実践人の家 を訪ねて、『森とは一体どんな人間だったか』と尋ねる人があったら、
『西洋哲学を学んだがもうひとつピッタリせず、ついに [ 全一学 ] に到達して初めて安定したが、 それ以外には唯、石が好きだった』
と仰って下さい。」

森信三の生涯は一言では言い表せませんが、その一端をご紹介します。

「日本の覚者 森信三」(DVD)より抜粋


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覚者とは、人生の真理を悟り、自らの人格を完成させ、世に大きな感化を及ぼす人のこと。

人には迷いがあります。
森信三の若い時代も迷いの連続でした。
しかし、真摯な取組みで人生の真理の解明にあたり、独自の人間哲学、教育哲学の道を切り拓いてきました。

膨大な著作、中でも「修身教授録」は大ベストセラーとして信三の名を高め、半世紀以上経た今でも広く読み継がれていますが 、信三は著作以上に実践のひとでした。

学校での講義の合間に全国津々浦々に脚を延ばして人間教育の土台づくりを図りました。
精力的な教育行脚は晩年を迎えて更に拍車がかかりました。

信三に接した人々は皆、信三の一言で迷いが消え、新たな気持ちで職務にあたれたと語っています・・・・・




学者にあらず、宗教家にあらず、はたまた教育者にあらず、ただ宿縁に導かれて国民教育者の友としてこの世の生を終えむ
という自銘のことばに従い、私の内面には、常に全国五十万の国民教育者の姿が消えたことはない と明言し、 一万回以上にわたって、全国津々浦々への講演行脚に明け暮れた。

西洋の哲学に飽きたらず、日本人として如何に生きるべきかの探求から「全一学」を提唱した。

教育においては [ しつけの三原則 ] [ 学校職場再建の三大原理 ] 主体的人間になるための [ 立腰教育 ] などを ひろめ、森信三の教えは学校や企業での研修教育に採用されている。

全著作全集は33巻に及ぶ。その他、啓蒙書として [ 修身教授録 ] [ 幻の講話 ] 等の名著を遺す。  → [ 全集目録 ] [ 著作年表 ]

明治29年愛知県生まれ。
大正 9年広島高等師範学校入学。恩師福島政雄、西晋一郎先生の教えを受け。
大正12年京都大学哲学科入学。 主任教授西田幾多郎先生の教えを受け大学院卒業。
昭和元年大阪天王寺師範選任講師として勤務、名著『修身教授録』完成。
昭和14年旧満州国の建国大学教授に就任。
昭和28年神戸大学教授に就任。昭和35年退官。
昭和40年神戸海星女子学院大学教授就任。
昭和50年「実践人の家」を設立。
平成 4年11月21日逝去 享年97歳。


 (各界の識者より)
坂村真民『詩国』第四九九号 平成十六年一月
神渡良平『主題のある人生』PHP研究所
岬龍一郎『教師の哲学』PHP研究所
小田全宏『日本人の神髄』サンマーク出版
田舞徳太郎『無知は人生に壁を作る』致知出版社
上村秀男『上村秀男著作集第一巻 語録・自伝』
アニマル浜口『修身教授録』 週刊現代
伊藤三樹夫 森信三先生に出会って

■ 坂村真民『詩国』第四九九号 平成十六年一月
人生二度なし
人生二度なし
森信三先生にお会いして
この言葉が
気海丹田の中に
焼き付き
わたしは新しく
スタートした
そして賦算誌『詩国』を発行し
平成十六年二月号で
五百号になる
この間一回も休むこともなく
刊行できたのは
先生の励ましの
おかげである
先生の霊よ
永久(とわ)なれ
(詩人)

■ 神渡良平『主題のある人生』PHP研究所
 自分に与えられている、この根本的な恩恵を当然と思っている間は、それを生かすこ とはできないでしょう。
 これに反して、それを「かたじけない」と思い、「元来与えられ る資格もないのに与えられた!」と思うに至って、初めて真にその意義をいかすことが できるでしょう。
 森(信三)はここで、
 「人間として体を与えられて、この世に送られている!」「本来与えられる資格もない のに与えられた!」 と言う感謝の思いを持たなければ、有意義な仕事をすることは出来ないといっている。
 また、教師とはただ単に教科の内容を教える者ではなく、いかに生きるべきかというこ とを教える人生の師でなければならないと説く。
 (作家)

■ 岬龍一郎『教師の哲学』PHP研究所
 森信三は、このあと本書で登場するような有名人ではない。吉田松陰や緒方洪庵のよ うに幕末維新を回天させたような英傑偉人を育てたわけでも、福沢諭吉や夏目漱石や新 渡戸稲造のよう日本を代表するような知識人でもない。ましてや安岡正篤のように歴代 総理や一流企業を売り物にする人への学者とも違い、その姿は町の片隅にどこにでもい るような平凡な人であり、高き理想を掲げながらも、その生活は質素であった。
 講演旅行に呼ばれたときも@カバンを人に持ってもらわぬことAクルマは校門内まで 入らず、必ず校門の手前で下車すること、B列車や船室は普通席のこと、以上の三つを 厳格に守り、威張らず、奢らず、目立つこともなかった。
 (作家)

■ 小田全宏『日本人の神髄』サンマーク出版
 先ごろ、わたしは福岡市にある仁愛保育園という児童施設を訪ねた。その時の印象を 言葉で簡潔に表現するのは、何ともむずかしい。映像をもってしても、情感の機微は伝 えられそうにないものだが、一口に言って、日常の中でなかなか眼にすることがない子 どもたちなのである。むろん奇怪という意味ではない。……
 遊びの時間は普通の子どもと同じように大きな声を上げてはしゃいでいる。けれども、 先生がいったん号令をかけると、三、四才の子どもたちはいっせいに着席し、きちんと 姿勢を正して目をしっかり見開き、先生の話に集中する。
 先生が、「はい、黙想しましょう」と声をかけると背筋をピンと伸ばして目を閉じる。 ……
 仁愛保育園の幼児教育の素地には、じつは国民教育の父・森信三の『修身教育』の教 えが横たわっている。
 (民間シンクタンク日本政策フロンティア代表)

■ 田舞徳太郎『無知は人生に壁を作る』致知出版社
森信三先生は晩年こう言っておられます。
 「満身総身に、縦横無尽にうけた人生の切り創を通してつかまれた真理でなければ、真 の力となり難い」
 まさに王陽明の言葉通りです。森信三先生流に王陽明の「知」を解釈するならば、それ は「真理の認識」「真理の自覚」ということができます。書物で学んだり観念的に知った 真理は現実社会では弱く、悲しみや、苦しみや、逆境の体験を乗り越えてつかんだ真理 には勝てないのでしょう。この短い言葉に森信三先生の人生にたいする万感の思いを感 じます。まさに真理は現実の唯中にあるのです。
 (日本創造教育研究所代表)

■ 上村秀男『上村秀男著作集第一巻 語録・自伝』
 「修身教授録」は、森信三先生が天王寺師範で修身の授業に、修身教科書はただの一頁 も使わず、人生について、教育について、その他諸々の社会現象について、あるいは人 間の生き方について語られるのを、生徒が克明に筆記したものであって、昭和一五年一 月初版発行の第一巻をひらいて読んだときの感激は、私の生涯を通じても滅多にない異 常な体験であった。近き将来、国民教育者となる若い師範生のために先生が諄々と説か れた言葉は、そのまま私の心に、あたかも乾いた海綿が水を吸い込むようにしみ渡った。 ああ、そうだったのか、人間が生きると言うことは、こういうことであったのか、真の 教育とはこのような営みであるのか 。今まで何処かもやもやしていたものが俄に雲霧の 晴れるように吹っ飛んでしまった。ああ、ありがたい。我が身を教育界に置いてよかっ た。使命感が切ないほどに湧いてくるのであった。
 (水堂寺戔嗚尊神社元宮司)

■ アニマル浜口『修身教授録』 週刊現代
 40歳でプロレスを引退した私は翌年、ボディビルジムを開いた。プロレスではやるだ けのことをやったと感じていたから、残りの人生は若者を指導しながら暮らそうと考え ていた。
 そんな最悪の状態の中で私を救ってくれたのが森信三の『修身教援録』だった。彼は 京都大学の西田幾多郎門下の哲学者で、この本は彼が昭和13〜14年に大阪天王寺師範 学校で行った修身の講義をまとめたものだ。たまたま雑誌で紹介されているのを見たの だが、そこに書かれている言葉のすべては、私の頭に雷を落としたようだった。特に「二 度とない人生、いかに生きるかという、生涯の根本方向を洞察する見識、並びにそれを 実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬの です」という言葉の衝撃は今も忘れられない。
 自分も二度とない人生を熱く燃えて生きようと思い、この覚悟を常に忘れないために なにかいい表現はないかと考えた。それが「気合だ!」というフレーズだったのである。 「気合だ!」が、今では私のトレードマークとなっているが、すべてはこの本から始ま ったと言ってもいいだろう。

■ 森 信三先生に出会って 伊藤三樹夫 ( 序詞 出会いの絶景を − 森信三先生讃歌 )
その人はいわれた
人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
一瞬早すぎず一瞬遅すぎもしない時に・・・
その人こそ私にとっては
森信三師であった
その時私は三十歳
これからの人生の根を決める根本的思想を求めて
あれもこれもと様々な思想遍歴を繰り返し
いまだこれだという確信が持てず
浮き草のように不安の日々を重ねていた
仏教に求めどもその煩瑣な大きさに戸惑い
キリスト教に求めどもその信に着いて行けず
哲学に求めども空疎な論理に着いて行けず
そんな時
現代思想の混迷を切り拓き
宇宙の大法と明確な実践方法を説く
しかもその背後に地下水的真人とでもいうべき
あまたの菩薩群を引連れ
しかも決して宗教的カリスマではない
思想的自由を保ち
人に思想を強制しない
人間の思想的自立を尊重し
一人一宗を説く人
ついに私はその師に出会ったのだった

日本的なものと世界的なものを切り結ばせ
具体と普遍をつなぎ
宗教と科学と哲学をひとつの学に高め
詩と美と思想を生活の中で活かしている実践人
西洋思想と東洋思想を統合する大きさを有し
日本民族の行く方向を指し示す
陰極まれば陽に転ずると・・・ 現状を憂いつつも
決して希望を捨てない人
時流の進歩的文化人に追随せず
日本的正気を説く人
二宮尊徳や藤樹等の日本的心実学を柱として
東西文化融合の壮大な学を打ち立てた哲人
そんな思想家についに出会ったのだ

西田幾多郎の最後の弟子
元兵庫県知事の阪本氏のブレーンでありながら
マスコミには一切顔を出さず
写真も撮らせず
世間の人はほとんどその名を知らない
よくもこんな隠者めいた人に出会えたものだと
この今生の出合いの不思議をつくづく思った
まことその人は隠者に憧れ
隠者の新井奥邃を慕い
終生隠者の幻を追い求めた人だった

大学教授でありながら
足元のごみ拾いを黙々と実践する下座行の人
自ら腰骨を立て人にも勧め
即身的実践を説く
無枕安眠法や半身浴など生活の中での健康法も教え
便りが来た人には必ずはがきを即刻に書き
人にもはがき書きを勧め
書いたはがきは複写して残しておけと助言し
幾多のはがき書きの達人を養成した人
生涯に三冊の本を自著自刊せよと勧め
自らも田畑を売って全二十五巻の全集を自費出版している人
教師なら学級便りを
それ以外の人もその生活の中から一人雑誌を出すことを勧め
自ら「国民教育者の友」と呼ばれることを願い
日本の北は北海道から南は九州まで
人に請われるままに教育行脚し
辺鄙な小学校で人の道を説いて回った木喰上人のような人よ

宮本武蔵を讃え山頭火を讃え
自らも野人たらんとしたネオ行者
老年になってますますかくしゃく
立花地区に一人入り
独居自炊を実践
将来の日本人の食の原点を示さんと
玄米食と味噌汁を実践した人
在野の学を尊重し
地方でひそかに実践している野の人を探し出す達人
山頭火の句集を世に出し
国民的詩人となった坂村真民さんをして
世にだしてくれた恩人・・・と言わしめた人

そんな人に教師になって五年目
まさに教育的模索の真っ只中
教育とは流水に文字を書くようなものだと
その覚悟を教えてくれた人
よくもこんな理想の師に出会えたものだ
青春時代以来の思想的混迷に決着をつけ
実践の決意を促しさらなる探求を駆り立てる人
著作や活動の分野を探れば探るほど裾野が広く
奥が深くて源の尽きざる巨人
私はその人にこの世でついに相ま見えたのだった
まさに百万の金鉱脈を発見した喜び
これから生涯掘り尽くしても掘り尽くせない鉱脈を
掘り当てた喜びよ
これを出会いの絶景と讃えずして何といおう
しかもその時師は言った(師についてあれこれ質問した時)

人物をあれこれ調べたり研究するのではなく
むしろ調べられ研究されるような人物になりなさい
そんな生き方をしなさい・・・と
大切なのは自分自身を燃やすこと己の心に火を点ずること
自分の外のことをいくら調べまわってもそれだけでは意味はない
まこと私は出会ったのだ
生の点火者に炎そのものに
そして私は知ったのだ
出会いとは点火であり
出会いが一瞬早すぎず遅すぎもしないというのは
その点火の条件が揃った時に出会いが起こり
点火が起こる
人生二度なし・・・とはその貴重なチャンスのこと
出会いの絶景を絶景たらしめるのはその点火の
その後の燃え方によってだということを




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